2011年のはじめに感じた事

2011/01/03

2011年、年男。

今年も年を超えて富士川を超えて18年目。
地元で育った年数とちょうど肩を並べた年。

年末年始は必ず地元に帰る事がルーチンになっている。
ただ「あぁ、今年はもういいかな?」という想いがふとよぎったけど、

自分を確認する


と言う作業的理由からか?気づけば本能的に帰ってしまう。

それに東京との相対的な生活感や臭い、文化のギャップはあるから
視線を変えてみるってのは心を整理する上で大事なフェーズなんだろう。

まわりの子供たち


年末は高校時代の仲間と会うのがある意味行事になっている。
今年は新婚者も再婚者もいて、新たに子供が生まれたりと友人も色々な変化が。

遅れて登場した僕は子供の相手をしていて、込み入った会話なしで時間が過ぎて行く。
年を取れば、みんなそんなもんなのかな?
まぁ、誰それが病気やら亡くなったって話よりはいいか。
テレビ塔
実家では美味しいおせち料理と、賑やかな6人目の甥っ子、姪っ子が集結する。
来年には7人目が誕生するという話題も怖いが、
一番上の姪っ子は来年で中学二年生という思春期真っ盛りだ。

ここ数年、深夜に一番上の姉と二人で話すのがなぜか恒例(?)となっているのだが、
中学生くらいましてや女の子ともなれば、その内容が気になるようだ。
「ちょうど心の成長する狭間なのかな?」なんて偉そうな自分。

振り返れば自分も中学生くらいになると、大人の会話や行動を背中で感じてたなぁ?なんて。
「子は親の背中を見て育つ」って言葉がまさにぴったりだけど、

子を見て大人も自分を再認識する


って事も大きいなと。

歩道橋を渡る


自分の子供時代かぁ。
そうそう、ちょっと寂しいニュースが舞い込んできた。

自分の小学校の統廃合が決定


ベビーブームの僕ら世代でもかなり少なかったけど、
いまや全校生徒が65人らしいから仕方が無いのかも知れない。

何とも表現しがたい気持ちの中、2時間ばかり小さい頃通った場所を辿ってみる。

小学校通学で毎日通った歩道橋
歩道橋
昔は黄緑色だったような気がする。周りの商店はほぼなくなっている。

小学校の校舎
校舎
廃校後、何の建物になるんだろうな?

中学校通学で利用した歩道橋
歩道橋
ここから猛スピードで自転車を駆け下りるのが楽しかった。
今思うと怖いな。

毎日この建物が見えたりする中学校だから、あまりありがたみが無かったりする。
名古屋城

落ちたら病気になると言われた川
堀川

小学校時代よく遊んだ友達の家を覚えていた(すぐ近所じゃないんだけど)。
丸の内

けった(自転車)こいで、隣町の商店街で駄菓子屋をよく買っていた。
丸の内

僕はどちらかというと自然より街が好きなんだな?と思う。

街は生き物のように呼吸をしているから


自然のように四季で景色が変わるんじゃなくて、時間軸と一緒に変化していく。
また目線を変えたり時間的距離をあけてやると、ちょっと違ったカタチに見えてきたりするんだよな。

そんな感じでぶらっと散歩してみたが、何だろう?変わったような変わっていないような?
でも、みんな結婚し、家族を持ち、家を建て、人間として当たり前の生活を送っている。

自分はここ数年色々変化したなぁ?なんて多少自負していたりするが、
「実は一番自分って???」なんて疑問を突きつけられたような気がする。

守るべきものがない自分が、何をモチベーションにここまで走っているのだろうか?
単なるプライドだけなのかも知れないな。

ある言葉から拝借して

35歳以降は、自分で目標を掲げ、目線を上げて、更に高い次元に向かって努力するという事を、意識的かつ強制的にやらないかぎり知的進歩がない。


それと同時に抑えている人間的感情をそろそろ出しても良い年なのかも知れないな?

そう漠然と考える一年の始まり。